11月13日に高石ともやさんのお別れ会があります
高校1年生(1975年)の冬に近畿放送(当時)の日本列島ズバリリクエストを聞いて以来、高石ともやさんやナターシャセブンの音楽を楽しんできました。高石さんは日本列島ズバリリクエストの担当を降板してからは全国各地でライヴを開催したり107ソングブックのレコードを定期的に発売したりしていましたが、不慮の事故で1980年にナターシャセブンの音楽に彩を添えていた木田たかすけさんが亡くなり、1982年に彼らの活動を支えておられた榊原詩朗氏が亡くなられてからはそれまでして来た活動ができなくなりました。またいつしか彼らのレパートリーの聴きどころと言える。笠木透さんやフィールドフォークで取り上げられた曲をコンサートで歌われなくなりました。私は高石さんが温かな口調で話された後で、「私に人生と言えるものがあるなら」「川のほとり」「私の子供達へ」「海に向って」「わが大地の歌」「めぐりあい」を歌われるのが大好きでしたが、そのコンサートの楽しみがなくなりました。いずれも作詞または訳詞が笠木透さんで榊原さんが亡くなられた影響かなと思いました。ナターシャセブンの107ソングブックとレコードを私は持っていますが、よくコンサートで取り上げられた曲で高石ともやさんが作詞作曲された曲は「春を待つ少女」だけ(「街」は作曲を木田たかすけさんとふたりでしています。また「明日になればね」「谷間の虹」は高石ともやさんの妹のとし子さんが作詞作曲されています)で、その他の高石さんが良く歌われる曲としては高石さんが訳詞をされたアメリカのフォークソングがありました。「陽気に行こう」「私を待つ人がいる」「あなたを恋しています」「わらぶきの屋根」「森かげの花」「陽のあたる道」「十字架に帰ろう」「さよならが言えない」「ふるさとの風」「夜明けを待ちながら」「疲れた靴」などがありますが、これらうちのいくつかは「思い出の赤いヤッケ」とともに1998年に再結成された時に歌われていたと記憶しています。再結成された最初のコンサートは私も行きましたが、さっき言いましたように笠木透さんの曲がまったく歌われず、一度も聞いたことがないオリジナル曲が歌われて物足りなく思った記憶があります。この再結成も坂庭省吾さんが亡くなられて開催が出来なくなりました。そうしてそれからずっと高石ともやさんの声を聞くことがなかったのですが、昨年、KBS京都ラジオの特番に高石ともやさんが出演されました。懐かしいなあ、また歌が聞けるのかなと思っていのですが、8月17日に亡くなられたことを日経新聞で知りました。高校1年生の時は日本列島ズバリリクエストで演奏された曲をテープに録って何度も何度も聞きましたが。あまりにのめり込みすぎていろいろ支障が出ました。平日の深夜0時から2時まで起きていることがありましたから、翌日の授業に影響がありました。そういうこともあって午後11時30分まで、ただし翌日が祝日の時は最後まで聞くことにしていました。でも9月に久しぶりに放送を聞くと9月30日の放送で降板するとのことでした。当時成績が芳しくなかったため、放送をじっくり聞いた記憶はありません。それでも高校時代のよい思い出を提供してくださったその当時のナターシャセブンのメンバーには感謝しています。特にマルチプレーヤーの木田たかすけさんは私の憧れでした。木田さんがコンサートでピアノ、ドラム、ウッドベース、エレキベース、トランペット、サックス、パーカッションなどを演奏しているのを見て、私もいつか楽器演奏ができたらいいなと思いました(私も未だに上手く演奏できませんが、13年以上クラリネットを習っています)。最後に重複しますがナターシャセブンが演奏したことがある私が好きな曲を列挙します。「思い出の赤いヤッケ」「春を待つ少女」「私を待つ人がいる」「柳の木の下に」「あなたを恋しています」「別れの恋歌 その2」「ひとり旅」「陽気に行こう」「わらぶきの屋根」「森かげの花」「海の嵐」「青い海のお墓」「私に人生と言えるものがあるなら」「陽のあたる道」「ブラック・マウンテン・ラグ」「十字架に帰ろう」「愛の小舟」「天国の岸辺」「さよならが言えない」「ふるさとの風」「フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン」「夜明けを待ちながら」「海に向って」「ヴィクトリー・ラグ」「サタデイ・ナイト」「おじいさんの古時計」「ランブリン・ボーイ」「疲れた靴」「おいで一緒に」「めぐりあい」「付知の子守歌」「瀬戸の子守歌」「坂下の子守歌」「私の子供達へ」「わが大地のうた」「川のほとり」「青春の歌」「明日になればね」「谷間の虹」「街」「君かげ草」「浜木綿咲いて」「夏休み」「そして秋」「道」「ほっちょせ節」「音頭与三郎」「ヘイ ヘイ ヘイ」 これらの曲はこれからもふと口ずさむことがあるでしょう。また耳にして元気づけられることがあるでしょう。その時には、きっと高校生の時に彼らの曲を聞いて良かったなあと思うことでしょう。